Sasha BLOG

Sashaの療育日記

朝の気持ちが1日の気持ちをつくる

自閉症の子は体温調整が苦手と言われています。真夏に長袖を着たり、真冬でも半袖を着る子の話を聞いたことがあります。

 

息子の場合、幸いそこまでのこだわりは無いのですが、身だしなみに関する意識が低いという意味では、同じかもしれません。Tシャツの下から下着がベロンと出ていたり、ズボンの裾が靴下に入っていたりすることは、高校生になった今でも珍しくありません。

 

下着だけズボンに入れて、上に着るトレーナーやTシャツを上からかぶせる、というごく普通のことができないので、小さい頃は肌着の丈を詰めて、絶対に見えないようにしていました。

 

短くすると、肌着をズボンに入れられなかったりするので、冬は寒いかもしれないのですが、見た目がだらしないと周囲に嫌われてしまうと思い、小学校時代はずっと丈を詰めていました。中学校では制服があるので、ワイシャツをズボンに入れるため、この作業は必要なくなりました。

 

中学校の修学旅行では、夜間に私服で過ごす時間があったので、久しぶりにこの作業をしたのですが、なんだか懐かしいなと思ってしまいました。高校は男子校なので、中学校と比べるとずいぶん気が楽になりました。

 

しかし「髪をとかして」と言うと、プチパニックを起こすことがあるので、まだまだ情緒の面では幼いところがあります。

 

今でも大事にしている、小学校時代の副校長先生の言葉に「朝の気持ちが1日の気持ちを作る」というものがあります。朝、バタバタしてしまうと、一日中その焦った気持ちを引きずってしまうのだそうです。

 

朝ゆったりできるよう、早めに行動するだけで、子供の情緒が安定するのだそうです。自閉症の子は、内と外で顔を分けるということが難しく、家庭での感情をそのまま外で表現してしまうことが多いので、今後も気をつけたいと思っています。

宿泊先をコンフォートゾーンに

発達障害児の親でなくても、心配になるのが宿泊訓練ではないでしょうか。「一人で大丈夫だろうか」「困っていないだろうか」とヤキモキする方は多いと思います。

 

宿泊訓練が始まるのは、ほとんどの場合小学校からだと思いますが、息子が通っていた幼稚園は、年中さんの時から宿泊訓練がありました。

 

提携する姉妹校の幼稚園に1泊するだけですが、ふだん親元から離れたことがない息子にとっては、大きなハードルになります。

 

そのことをABA療法の家庭教師Mさんに相談したところ、「親と離れて泊まることをマイナスイメージにしない」ことが大事だと教えて頂きました。最初につまづくと、今後の宿泊訓練にも影響すると言われました。

 

そのため、まず慣れている家庭教師さんにお願いして、ホテルで1泊、宿泊していただきました。近所なので、何かあればすぐ行ける状態で行いました。

 

また、強化子となるイベントもほかに用意しました。プレッシャーがかかる行事に意識を向けず、直後の楽しいイベントで頭がいっぱいにするためです。いわば人参をぶら下げるやり方です。

 

息子は電車が好きですから、宿泊訓練が終わったら特急列車に乗ることにして、予約を取り、壁に電車の写真を貼って励ましました。

 

宿泊訓練の立ち回り先である、動物園にも下見に行きました。このときは宿泊先には行っていませんが、今だったら、絶対に連れて行って建物を外からでも見せると思います。

 

「あそこに行く」とイメージできることが、自閉症の子にはとても大事だと思います。

 

幼稚園の年長さんで行った、新潟でのスキー訓練では、寒さのためにパニックになったと聞いています。暑さや寒さがあると、心理的負荷がかかって、普段よりパニックを起こす閾値が低くなります。

 

ですから、現地の下見はできるだけしておくべきだと思います。スキーは事前に体験させたのですが、練習した施設が実際に滑るスキー場ではなかったので、スキー場に慣れていなかったのもパニックの原因だと思います。

 

小学生に入ると、4年生の時に教室で防災宿泊訓練がありました。学校に泊まって救命訓練をしたり、非常食を食べたりする体験です。

 

小学校は徒歩5分ほどの距離ですし、宿泊場所も小学校の教室にみんなでごろ寝するだけなので、この時はそこまでケアをしませんでした。

 

小学校5年生の時の、八ヶ岳移動教室の際は、現地の宿泊施設や牧場などを下見しました。宿泊先は区の施設ですから、事前に連絡して訪問しました。

 

発達障害の息子が今度お世話になるから、施設を下見したい」と伝えたところ、施設内の寝室、お風呂、トイレ、木工ルーム、キャンプファイヤー広場、洗濯室などを案内してくださいました。

 

それのみならず、登山する予定の山の登山口にも、案内してくださいました。学校などが集団登山する時にだけ使う、一般人が使用しないルートがあるのですが、その入り口の鍵を開けてくださったのです。これには感激しました。

 

6年生の春は、魚沼の移動教室のための下見に行きました。この施設を下見した際も、園長先生が寝室やお風呂場、立ち回り先の電力館を案内してくださいました。遠足で行く尾瀬にも、実際のルートから訪問しました。

 

6年夏の移動教室は、千葉県の岩井海岸でした。海で800mの遠泳をするイベントです。この宿泊先は、一般の旅館だったので、前年の6月に宿泊客として宿泊しました。

 

遠泳の練習自体も、早くから始めており、幼稚園の時からマンツーマンで水泳の家庭教師さんの指導を受けさせました。とにかく溺れさせたくないという気持ちからです。

 

この甲斐あってか、息子は1時間以上続けて泳げるようになっていました。水泳検定では認められない、癖のあるフォームながら、遠泳大会で全体4位の成績を納めたのです。これには驚きました。彼の努力の賜物です。

 

中学生になり、さすがに宿泊サポートは不要かと思いましたが、まだパニックの兆候はあったので、八ヶ岳移動教室の下見に行きました。

 

この年は、結局コロナの影響で直前に中止になってしまったのですが、宿泊先の旅館や立ち回り先を下見し、登山予定の山にも登りました。

 

3年生での京都への修学旅行は、単なる観光旅行だということもあって、特にフォローはしませんでしたが、高校では、入学式の3日後からいきなり宿泊訓練だったため、宿泊先に下見に行きました。

 

「チームビルディング合宿」というもので、お互い何も知らない集団でチームを作るための、研修のようなものです。

 

この時の施設の方にも、事情を話すとお風呂や寝室、食堂、立ち回り先を案内して頂けました。このように、こちらから事情を話すと、たいていの方は力になって下さいます。皆様には、感謝の気持ちでいっぱいです。

 

この記事を読んでいる方も、不安な時には、その気持ちをぶつけてみるといいと思います。遠方の場合、施設内の写真を印刷するとか、パンフレットを入手するだけでも違うと思います。

 

自分が快適にいられる場所を「コンフォートゾーン」と呼ぶそうです。コンフォートゾーンを作ってあげるお手伝いを、これからもしていきたいと思います。

不安なときは下見

発達障害の子を育てる上で大切なことは、日常生活の中の不安を少しでも軽減してあげることです。ワーキングメモリの少なさのため、「場所に対する不安」「これからの未知の行動に対する不安」が重なると、パニックを引き起こす原因となってしまうからです。

 

そのため私は、宿泊行事があるたびに、息子を現地まで連れて行くようにしました。自分が心地よく活動できる範囲を、心理学ではコンフォートゾーンというそうですが、宿泊行事の前にこのコンフォートゾーンを広げてあげると、落ち着いて参加できます。

 

「俺はこの場所を知っているぞ」という精神的に優位な状態があれば、パニックを引き起こすトリガーがひとつ減ります。ワーキングメモリーも働きやすくなるので、平常心を保つために、下見はとても有効です。

 

宿泊行事に限らず、受験で面接に行くときや、新しい環境に移るときなどに、遠慮せず「下見に行きたい」と言ってみたら良いと思います。

 

息子の場合、小学校に入学するときは、入学式の会場に事前に入らせていただきました。担任の先生にも事前に会うことができたので、挨拶のためにも良かったと思います。

 

中学校の時には、成長してそこまでの配慮はしませんでしたが、場慣れさせるために、中学校の学校公開には毎回連れていきました。高校に入る際もそうです。

 

高校は、本来なら受験するまで入学先が分からないのですが、息子の場合は場慣れを重視して、高校1年生の時には入学先を決めていました。

 

東京には、「絶対ここ以外は受験しません」と約束をすることで、入学を保証してくれる私立単願推薦の仕組みがあります。これを利用すると早々と決定して、場所に慣れさせることに専念しました。

 

小学校のときは、とにかく野外の宿泊行事が多かったので、八ヶ岳や千葉の岩井、新潟の奥只見湖まで、公共交通機関を利用して訪れました。

 

都会の子が自然を体験するための施設なので、車なしで訪問するのに大変苦労しましたが、施設の方は皆さんとても親切にしてくださいました。

 

「子供が発達障害なので、宿泊の時にパニックを起こさないように下見に来た」と伝えると、たいてい施設の中を見せていただくことができました。こちらが恐縮するほど親切な方ばかりでした。

 

八ヶ岳では、飯盛山登山で使用する、一般の登山道ではない団体用登山口を特別にあけてくださいました。奥只見では、施設長がダムの電力館まで車で送ってくださり、立ち回り先を確認することができました。嫌な顔ひとつしないで、親身に対応してくださった優しい館長の皆さまには、本当に感謝してもしきれません。

 

私は、宿泊を伴わないで場所も、なるべく下見に訪れていました。普通の子なら、楽しみにとっておきたいようなことですが、とにかく集団行動に迷惑をかけたくない、息子を安心させたいという思いです。集団行動でパニックを起こすと目立ちますし、やはり息子には普通級は無理なんじゃないかと言われるかもしれません。

 

それが嫌で、宿泊行事や校外活動の下見には時間を割いて対応していました。一緒にいると、彼の弱点もわかりますので、「お風呂の後の部屋着とパジャマは一緒でいいな」とか、「脱いだものを再度使うより、毎回新しいものを着るシステムにした方が荷物の管理がしやすいな」とか、見えて来るものがあります。

 

中学3年生の時の奈良・京都への修学旅行は、さすがに下見には行きませんでしたが、その頃には息子も成長して、学校でパニックを起こすことはなかったので、旅行先で何かあってもパニックは起こさず、我慢できるだろうと予想が付きました。

 

3年間でクラスの皆んなとも馴染んでいたので、息子の良い面悪い面を、クラスのみんなも分かってくれていたように思います。特に小学校から一緒の子たちは、程よい距離感で息子に接してくれていたように思います。

 

高校は、面倒見が良いという評判の、私立男子校に入りました。この学校は、4月1日が入学式、4月3日からチームビルディングのための宿泊訓練をするという、かなりハードなスケジュールの日程だったので、直前の春休みを利用して、場所の下見にだけいきました。全く面識のない生徒どうしで、知らない場所での宿泊訓練となると、またハードルが上がってしまうからです。

 

このような、息子を学校生活に順応させるための取り組みに、お金はかかりましたが、私たち親子にとってはいい思い出となっています。

学校生活の工夫

小学校や中学校に対しては、なるべくビジネスライクに接するようにしました。息子は状況によってはパニックになることがあります。そのため、事前に「こういう時はパニックになります」と予告していました。台風や雪の予報のようなものです。事前に備えておけば、ダメージを最小限に抑えることができるのです。

 

担任の先生のキャパシティを超えるほどの迷惑をかけてしまっては、担任の先生に嫌われる可能性もあります。先生の気持ちを、クラスの子供たちは敏感に感じ取りますから、なるべく集団行動で迷惑をかけないように、先生から嫌われないように、気をつけました。

 

臨床心理士さんの心理検査や、ウィスクの結果が出たら、すぐ学校にお渡しして、本人の特性や得意・不得意は、担任の先生が変わるたびにアップデートしました。夫婦連名で、学校あてのA4文書も作成しました。ビジネス文書で正式に申し入れをしておけば、学校側に配慮を申し出たと言う客観的な証拠になります。

 

地域のお店訪問や料理実習・ミシンの実習・付き添いなどで、学校からボランティアの募集があれば、積極的に参加しました。ボランティアが私一人というパターンも結構ありましたが、大体は5人くらいの参加者がいました。

 

PTA役員にも手を挙げました。役員にはカウントされない、植物ボランティアにも参加しました。植物ボランティアを口実に、週に3回は学校に行けたので、子供にとっては心強かったと思います。

 

運動会のダンスは鬼門だったので、体育の時間に参加して、一緒に振り付けを覚えました。振り付けの練習のほかに、運動会で使用する楽曲を無限ループで流しっぱなしにしました。他のお子さまの3倍ほどの時間をかけて、ようやくちょっと下手かな?という程度の仕上がりでしたが、目立たない程度にはなっていたと思います。

 

楽曲の無限ループは、合唱の発表会や入学式・卒業式など、プレッシャーがかかる行事の時はずっとやっていました。こうすると、本番への耐性がつきます。

 

幼稚園のときは、就学時検診を目指して、ひたすらABA行動療法にはげみました。マンツーマンで療育をしてくれる家庭教師さんに、たまたま出会ったのです。息子は友達ができなかったので、放課後の時間は遊ばずに、療育に充てていました。

 

小学校にお願いした配慮は、机の固定とロッカーの代用かごの使用です。席替えしても教室の中の位置が変わらないようにお願いしたのは、息子が環境の変化に弱いからです。前頭葉のワーキングメモリーが少ない息子は、変化に慣れるまでかなりの時間がかかるので、慣れるまでの期間、ついて行くのが特に遅くなります。

 

その期間を省くため、席を固定にしてもらいました。この配慮は、中学校まで続きましたが、ロッカーの代用の買い物かご使用は、小学校5年生までで終えることができました。このように、支援が必要ないと思うポイントは、薄くしていくのが基本です。

 

教科別に、教科書とノートを色分けする工夫もしました。最近の教科書はカラフルすぎて、目にうるさいため、どの教科かを一目で直感的に感じることが難しくなっています。このため、国語は赤、数学は青、理科は緑、社会はオレンジ、英語は黄色、技術・家庭科は紫、保健体育はグレー、音楽は白、などのようにテーマカラーを決めて、テープを背表紙に貼りました。

 

ちなみに、色分けに使用するテープは、テプラのテープがおすすめです。テプラのテープはとても薄いので、教科書を捌くときに引っ掛かりません。文字を打たなくても、色分けするだけで充分に分かりやすくなるので、ぜひ試してみてください。

 

中学校や高校ではリュックの中で混じり合わないように、透明のファイルケースを使いましたが、このファイルケース自体も色分けしました。教科書・参考書・ノートなど、同じ教科に全て同じ色のテープを貼ることで、教科が直感的に分かるようになります。高校生になった時は、息子が自主的に色分けしました。

 

また、内申点がある中学校以降は、大量のプリント管理の問題が出てきます。学校との連絡用のファイルを作っておくと、便利です。

 

自閉症など、発達障害の子供の場合、中身が何だったかを覚えていないことが多いので、入れ物には透明のものをなるべく使いました。透明やメッシュの入れ物の場合、見てすぐ中身が分かるので、覚える必要がないのです。この「見える化」作戦は、習字セットでも活用しています。

 

工場用の透明ショルダーバッグに習字セットを入れておけば、中身をガサゴソと探す手間がありません。筆まきの代わりには、透明のポーチを使っています。ほかにも、体育館シューズの入れ物、宿泊訓練で服を入れるケース、洗顔セット、お薬入れなどに透明のものを使用しています。

 

また、子供には委員会活動に積極的に参加するよう言っておきました。成績が悪い息子は、低緊張のため姿勢も悪かったので、内申点の態度の点を引かれていました。ですから、学校への心象をよくするために委員会活動をさせたのです。

 

公立中学校に迎合するなんて、と思わなくもなかったのですが、息子の場合は知能がそこまで高くないため、自力で勉強して身を立てるのは難しいと思っています。そのため、敷かれたレールにはなるべく添うように、普通に育てるように気を配りました。

過保護と過干渉のちがい

小学校の低学年の頃は、息子が学校でパニックを起こすことがあったので、担任のすすめもあり、朝は教室まで一緒に登校して、加配をしていました。

加配とは、いわば黒子のような存在です。ふだんは教室の端や机の横にひっそりと待機していて、子どもが困っていると判断したときだけ手助けするのです。

このときに大切なことは、手助けしすぎないことです。発達障害の子をサポートする上で大切なことは、常に「ちょっとだけ困った状態」にすることだと言われているほどです。

困ってパニックになるのは避けなければなりませんが、かといって本人の成長の機会を奪ってはいけません。

息子は耳からの指示が入りにくかったので、動作がワンテンポ遅れるときがあり、この遅れがもとでパニックを起こすことがよくあったので、息子の場合はなるべく初動を早くするよう工夫しました。 

ボーッとしていることが多いので、気づいていない時は肩トントンだけでも、効果がありました。

しかし、急にな 予定変更があったり、行事前でピリピリしていたり、極端な暑さ、寒ささが重なると、パニックの要因となりました。

精神的に安定している時には平気なことも、負荷が重なると、許容範囲が狭くなるので、その時の状態に合わせて、介入の手厚さを調整していました。

成長に伴って、サポートは薄くなり、

小学校低学年のときは教室までだった付き添いは、いつしか学校の玄関までになり、校門までになりました。

中学校現在は、マンション玄関まで送っています。高校生になったら、いよいよ玄関ドアで別れられるようになるかもしれません。

健常と呼ばれる定型発達のお子さまなら、小学校一年生でクリアすることですが、息子は少しずつ時間をかけてクリアしています。

過保護なのではないかと思う方もいるかもしれませんが、実は過保護は過干渉ほど害がないことが分かっています。過干渉は親が自分の考えを押し付けることで、過保護は本人の希望をサポートするものだからです。

道山ケイ先生は、過保護で育てたほうが、自己肯定感が増すので、すべてに前向きになるということです。親と一緒に家を出ることは、不登校を防ぐ意味でも役に立ったと思います。

小学校でのサポート

発達障害の子どもの中には、少しのサポートで他の子と同じような生活を送れる子がいます。うちの息子がまさにそうで、教室で席を固定してあげたり、教室のロッカーのかわりに買い物カゴを席の横に置いてあげたりすれば、みんなの流れについていけていました。

 

もちろん、朝の頭がよく回らない時間は、サッと動けなくて個別の声かけが必要な場面もありましたが、逆にいえば指導者の心配りさえあれば、一緒にいられたのです。しかし、このときに指導者がうとましく思って、行動に遅れた息子を見捨てるような挙動をすれば、息子は敏感に察してパニックを起こしました。

 

自分を1人の人間としてちゃんと認めてくれるかどうか、ということが息子にはとても大切なことだったのでしょう。いえこれは、息子に限らないことです。人間なら誰だってそうだと思います。

 

先述したように、龍や天使やキャットピープルなどを見ていた息子が、人の気持ちに気づかないはずはなく、息子が邪魔だなと心の中で感じる先生のことが、分からない訳はないのです。たとえその先生が「本人のためだ」と言っても、本当にそうなのか。心の中で疎ましく思っていたとしたら、敏感に察するのです。

 

特別支援級の担任をしていたこともあるその先生は、ことあるごとに支援級を勧めてきました。しかし息子は、小学校に入る時の区の審査で通級相当という判定を得ていますし、何より本人が普通級でみんなと過ごすことを望んでいました。

 

集団の指示が入りにくい息子を、「個別に指示すれば一緒にいられるんだね」と見るか、「個別に指示しないと分からないかわいそうな子どもなんだね」と見るかの違いで、教育環境は大きく変わります。

 

障害がある子どもと、定型発達の子どもを混ぜて育てることを、インクルーシブ教育といいます。日本では、武蔵野東学園が自閉症児との混合教育を古くから取り入れていますが、私はこの混合教育が、日本でもっと一般的になってほしいと思っています。

 

行動パターンを身体で覚えて学習するタイプの息子が、仮に支援級に入っていたら、ここまでの成長はなかったと思うからです。

 

もう少し頭が良くて、概念で行動を学習できる子なら別だと思うのですが、回りの行動を肌で知覚して、パターンで覚える息子のようなタイプの子どもにとっては、障害を理由に分けて育てられる制度では、成長の機会自体を奪われることになりかねません。

 

そういう意味では、通級利用で普通学級に入れることを許可してくれた、当時の校長先生には本当に感謝しなければいけません。区から通級相当の判定はおりていましたが、やはり慣れるまではずいぶんご迷惑をおかけしたからです。

 

できるだけ学校に迷惑をかけないように、低学年のうちは、母である私が一緒に登校して、子どものパニックが起きそうになった時はサッと手助けしたりして、教室の運営に迷惑をかけないようにしてきました。

 

しかし、入学時に学校側に拒否されたら、さすがに難しかったと思うので、就学時検診のときに「あなたなら大丈夫ね」と背中を押してくれた当時の校長先生に、感謝したいと思います。

PTA役員を引き受けよう

あなたが発達障害の子どもを持つ親なら、ぜひPTA役員を引き受けていただきたいと思います。学校運営に協力することで、先生方の理解を得やすくなりますし、役員の仕事などで、学校内のふだんの生活を観察する機会を得ることができるからです。

 

学年委員はお茶会や食事会を仕切ることが多いと思いますが、そのように前に出ることが苦手な場合は、保健体育委員や広報委員といった役があります。

 

卒業対策委員は、好きな方は好きだと思いますが、私は幼稚園で引き受けて懲りたので、小学校では早めに役員をこなすようにしました。(保健体育委員という、年に2回のスポーツイベントに参加したり、参加者を仕切ったりする仕事でした)

 

学校にもよると思いますが、ほとんどの場合何らかの役員をこなさないと最終的に卒業対策委員になってしまいますので、自分ができそうな分野を選んで、ぜひ早めに引き受けていただきたいと思います。

 

さて、話題は変わりますが「ママさんカースト」という言葉を聞いたことがある方はおられるでしょうか?私は子どもが出来るまでこの言葉を知らなかったのですが、言うなればお母さん同士の序列です。

 

お子さまが優秀であればあるほど、このカーストの上位になりますが、お子さまに障害がある場合、どうしてもカーストの下位とみなされることになります。

 

もちろん、ほとんどのお母さんは普通に接してくれましたが、中には不快な思いをさせられるお母さんもいたことをお伝えしておきます。

 

しかし、学校は単なる通り道に過ぎません。嫌な思いをしても、ほとんどの場合、一生続く関係ではないので、その辺は割り切ってお付き合いしていけばいいと思います。

小学校での思い出

息子が小学生の時には、まだパニックが多かったので、朝は付き添い登校していました。息子の小学校では、毎朝8.10に全校生徒がホールに集まり、校長と朝の挨拶をする習慣だったので、母親であるわたしは、ホールの隅で待機していました。

 

朝礼が終わったら、毎朝教室に送りました。はじめは同級生の子から怪訝な眼で見られましたが、運動会のダンスを覚えるために授業で一緒に踊ったり、一緒に校外学習にいったりする姿を見て、しだいに私を受け入れてくれるようになりました。

 

調理実習や書初めイベント、職業学習など、父兄がボランティアできる授業はほかにもたくさんあったので、募集されれば全て参加しました。

 

中学校になるとボランティアはありませんでしたが、PTAの役員には早めに応募しました。公立の場合、とにかく協力の姿勢を示すことが大切だと思います。

 

子どもたちとは、おかげさまで仲良くさせていただきました。折り紙のプレゼントを貰ったこともあります。

 

クラスの子ども達に認めてもらえたことは、息子を支える孤独な毎日の支えになりました。幸い息子は学校に行きたがらないということはなく、毎朝元気に登校しました。

 

小学校6年間、中学校3年間で、休んだのはインフルエンザと忌引きだけです。中学校は、コロナ禍真っ最中でしたが、一日も休みませんでした。

 

息子のガッツにも敬意を表したいと思います。

ABA行動療法との出会い

療育は、まずは発達障害の塾リーフでの言語療法から始まりました。マンツーマンの40分程度の講座です。

 

講座は隔週だったので、自宅で療育できる四谷学院の「55段階療育セット」にも申し込みました。

 

この療育セットは、自閉症児の混合教育で有名な「武蔵野東学園」が監修しています。

 

各種の単語とイラストが描かれたカードが入っていて、親がそのカードを利用して、一つずつ言葉を入れていくのです。

 

線つなぎなどの簡単な作業もありました。シールが入っていて、その日のノルマを終えるとシールを貼っていきます。

 

進行に合わせて、添削や励ましの言葉を送ってくれるのが、親の私にとって励みになりました。

 

NPO法人「つみきの会」にも入会しました。この団体は、親に療育の方法を教えて、親が自分でABA行動療法をできるようにするための団体です。

 

ABA行動療法は、アメリカでは公費で行える療育なのですが、日本では保険が効かないので、自費になります。

 

1時間3500円くらいが相場でしょうか。3時間行わないと本当の効果は無いと言われているので、一回あたり1万円以上かかります。

 

療育にお金がかかるなら、いっそ親をABA療法の先生にしてしまおう、というのがつみきの会の方針です。

 

会長のお子さまも自閉症の方で、娘さんを療育するためにABA療法を覚えたのだそうです。

 

幼稚園の年少の頃は、この55段階療育と、つみきの会のテキストを中心に療育をしました。

 

しかしリーフの担任の先生が異動することになったので、新しい通所先を探すことにしました。

 

この頃に出会ったのが「我が子よ声を聞かせて」という本です。

 

発語が無かった2人のお子さんを、ABA行動療法で療育し、回復させたアメリカの親子のドキュメンタリーです。

 

この本に感銘を受け、ABA行動療法ができる家庭教師を探しました。そして出会ったのが、現在も活躍されているMさんです。

 

ABA行動療法だけでなく、一般の塾講師としての実績もあり、子どもの扱いに慣れていたので、安心して彼女に任せることができました。

 

幼稚園の年中から小学校5年生になるまで、週に1回から2回、時には3回自宅に通っていただくことになります。

 

ABA行動療法は、3時間以上行うのが基本なので、子どもにとっても大変だったと思いますが、あの日々が無ければ、いま普通科の高校に通っている息子の姿はなかったと思います。

 

幼稚園の行動観察

小学校入学にあたっては、普通学級に入るのか、特別支援学級に入るのかという選択肢の前で悩みました。

 

親としては、息子の日常を見ている中で、周りにモデルがいる方が成長しやすいと思っていたので、できれば普通学級に入れたいと思っていました。

 

仮に自閉症の特性が強くても、座学で吸収できる子なら、特別支援学級への進学で学習できると思いますが、息子は概念で理解するというよりは、肌で理解するタイプだったので、支援級に入ると、成長の機会を奪われると思ったからです。

 

そのため、幼稚園時代は、普通級への進学を目指して、放課後の時間をほとんど療育にあてました。家庭教師さんの療育が週に2回、そのほかの平日も、私自身がつみきの会のテキストや四谷学院のセットを使って、言葉を教えていました。

 

ABA行動療法は、言葉は悪いのですが、動物の調教に似ています。「強化子」と呼ばれるご褒美をエサにして、さまざまな情報を入れていくのです。

 

例えば、象の絵とキリンの絵を並べて見せて「象はどれ?」と聞きます。(この時に、机を挟んで正式に向き合うことが大切です)

 

子供が正解すれば、0.2秒以内にお菓子を与える。外れたらあげない。これを、延々と繰り返します。

 

0.2秒以内に強化子を与えることで、脳に強くインプットされるそうですが、とにかく単調な作業なので、教える方も疲れてしまいます。これを、休憩を挟んで一日3時間実施しました。

 

2年ほど経過すると、話もできるようになりました。目を見て話せるようになった時の嬉しさは、今でも忘れないでしょう。

 

幼稚園の年長になって、小学校入学が見えて来ると、どのクラスに就学するかという就学問題が起きてきました。

そのため、年長の春先から教育委員会を訪問し、面談を開始しました。担当は、もと小学校の校長先生の男性でした。

 

とても慈愛に溢れた先生で、入学後にも小学校での適応問題が起きたときに、電話で相談に乗っていただきました。

 

息子の知能検査は、夏に行いました。K式で91という数値が出たので、普通学級への就学が見えてきました。

 

そのため、秋口に教育委員会の判定員に幼稚園に来て頂きました。不作為の3名の判定員が、幼稚園を実際に訪問して、小学校での生活が可能かどうかを観察するのです。

 

結果、3対2で普通学級に就学可能と判定されました。女性ふたりは「彼はパターンで行動しているので、慣れたら適応できる。ただし通級を利用して療育が必要」と判定しました。

 

男性は、完全に分離して療育を行うべきと判定しました。その後の先生方との経験を考えても、男性は引き離して育てたい、その場のノリについて来られない子供は別に扱いたい、という方が多い気がします。

 

この行動観察で、区から正式な書類をいただいたので、その後の就学時検診の校長先生の「こういう子はねえ…」という呆れられたようなコメントにも、対抗することができました。