Sasha BLOG

Sashaの療育日記

小学校でのサポート

発達障害の子どもの中には、少しのサポートで他の子と同じような生活を送れる子がいます。うちの息子がまさにそうで、教室で席を固定してあげたり、教室のロッカーのかわりに買い物カゴを席の横に置いてあげたりすれば、みんなの流れについていけていました。

 

もちろん、朝の頭がよく回らない時間は、サッと動けなくて個別の声かけが必要な場面もありましたが、逆にいえば指導者の心配りさえあれば、一緒にいられたのです。しかし、このときに指導者がうとましく思って、行動に遅れた息子を見捨てるような挙動をすれば、息子は敏感に察してパニックを起こしました。

 

自分を1人の人間としてちゃんと認めてくれるかどうか、ということが息子にはとても大切なことだったのでしょう。いえこれは、息子に限らないことです。人間なら誰だってそうだと思います。

 

先述したように、龍や天使やキャットピープルなどを見ていた息子が、人の気持ちに気づかないはずはなく、息子が邪魔だなと心の中で感じる先生のことが、分からない訳はないのです。たとえその先生が「本人のためだ」と言っても、本当にそうなのか。心の中で疎ましく思っていたとしたら、敏感に察するのです。

 

特別支援級の担任をしていたこともあるその先生は、ことあるごとに支援級を勧めてきました。しかし息子は、小学校に入る時の区の審査で通級相当という判定を得ていますし、何より本人が普通級でみんなと過ごすことを望んでいました。

 

集団の指示が入りにくい息子を、「個別に指示すれば一緒にいられるんだね」と見るか、「個別に指示しないと分からないかわいそうな子どもなんだね」と見るかの違いで、教育環境は大きく変わります。

 

障害がある子どもと、定型発達の子どもを混ぜて育てることを、インクルーシブ教育といいます。日本では、武蔵野東学園が自閉症児との混合教育を古くから取り入れていますが、私はこの混合教育が、日本でもっと一般的になってほしいと思っています。

 

行動パターンを身体で覚えて学習するタイプの息子が、仮に支援級に入っていたら、ここまでの成長はなかったと思うからです。

 

もう少し頭が良くて、概念で行動を学習できる子なら別だと思うのですが、回りの行動を肌で知覚して、パターンで覚える息子のようなタイプの子どもにとっては、障害を理由に分けて育てられる制度では、成長の機会自体を奪われることになりかねません。

 

そういう意味では、通級利用で普通学級に入れることを許可してくれた、当時の校長先生には本当に感謝しなければいけません。区から通級相当の判定はおりていましたが、やはり慣れるまではずいぶんご迷惑をおかけしたからです。

 

できるだけ学校に迷惑をかけないように、低学年のうちは、母である私が一緒に登校して、子どものパニックが起きそうになった時はサッと手助けしたりして、教室の運営に迷惑をかけないようにしてきました。

 

しかし、入学時に学校側に拒否されたら、さすがに難しかったと思うので、就学時検診のときに「あなたなら大丈夫ね」と背中を押してくれた当時の校長先生に、感謝したいと思います。