Sasha BLOG

Sashaの療育日記

小学校での思い出

息子が小学生の時には、まだパニックが多かったので、朝は付き添い登校していました。息子の小学校では、毎朝8.10に全校生徒がホールに集まり、校長と朝の挨拶をする習慣だったので、母親であるわたしは、ホールの隅で待機していました。

 

朝礼が終わったら、毎朝教室に送りました。はじめは同級生の子から怪訝な眼で見られましたが、運動会のダンスを覚えるために授業で一緒に踊ったり、一緒に校外学習にいったりする姿を見て、しだいに私を受け入れてくれるようになりました。

 

調理実習や書初めイベント、職業学習など、父兄がボランティアできる授業はほかにもたくさんあったので、募集されれば全て参加しました。

 

中学校になるとボランティアはありませんでしたが、PTAの役員には早めに応募しました。公立の場合、とにかく協力の姿勢を示すことが大切だと思います。

 

子どもたちとは、おかげさまで仲良くさせていただきました。折り紙のプレゼントを貰ったこともあります。

 

クラスの子ども達に認めてもらえたことは、息子を支える孤独な毎日の支えになりました。幸い息子は学校に行きたがらないということはなく、毎朝元気に登校しました。

 

小学校6年間、中学校3年間で、休んだのはインフルエンザと忌引きだけです。中学校は、コロナ禍真っ最中でしたが、一日も休みませんでした。

 

息子のガッツにも敬意を表したいと思います。