Sasha BLOG

Sashaの療育日記

文理選択の日

高校1年の秋になり、いよいよ息子も文理選択のときが来ました。

 

息子が1番好きなのは社会(地理)ですが、理系を希望したので、理系で志望を出しました。

 

特に数学や物理が好きな訳ではないのですが、将来は機械工学やデザインをやりたいということで、物理を選択しました。

 

スピリチュアル的なことが気になったので、ハイヤーセルフと話が出来る方に観てもらったところ、息子のハイヤーセルフが、初めての地球なので、物理的な仕組みを知りたがっているということでした。

 

わたし自身は趣味で小説を書いているくらいの、完全な文系人間です。だから、息子が数学についていけるのか、心配になりました。

 

ちなみに、成績はいまの高校ではちょうど真ん中くらいです。sinθcosθでウンウン言っている息子を見ると、赤や青、紫などの色の名前を苦労して覚えさせた昔を、遠くに感じます。

 

息子に「覚えろ!」とは言いたくないので、私も一緒に数学の勉強を始めました。ヨビノリたくみ先生をはじめ、今では素晴らしい先生がたくさんYouTubeで講義を展開されているので、ありがたいです。

 

葉一先生やヨビノリ先生は、間違いなくスターシードのライトワーカーだと思います。また、そういう意味ではジャニーズのタレントさん達も、ライトワーカーだと言えます。

 

ストレスの多いこの社会を、どうやったらスムーズに渡っていけるか。どうやったら、自分の魂が喜ぶ仕事を出来るか。

 

まだまだ手探りの日々ですが、息子の未来を信じて、支えて行きたいです。

 

 

ご褒美を活用する

療育とご褒美をセットで考える、というのがABA療法の特徴と言えます。

 

ご褒美については、言葉をカードで教えるなど、短期的な意味では、成功の0.2秒以内に強化する必要があるそうです。

 

息子が小さい頃は、ボンタンアメを8等分したり、グミを4等分したりして、成功したらすぐに口に放り込む、ということをしていました。

 

小学校高学年くらいになると、時間を延ばせるようになるので、30分勉強したら何個、みたいにできるようになります。家庭教師さんは、2時間勉強したらねるねるねるね、をあげるようにしていました。

 

大きなスパンでは、運動会のように、プレッシャーがかかるイベントが終わったら、例えば特急列車に乗せてあげるよ、みたいな使い方をすることが出来ます。

 

単に頑張れ、と押さえ付けてしまうと、プレッシャーに負けて、当日にパニックになるかもしれません。しかしプレッシャーが起きるイベントと、強化子をセットで提示してあげると、ご褒美に気持ちがいくので、あまりプレッシャーを感じずに、楽しくイベントを迎えられます。

 

これはお金もかかるのですが、私は子どもが人前でパニックを起こすよりはいいので、けっこう活用していました。

 

高校生になってからは、さすがにご褒美で釣るようなことは無くなりましたが、もっと意識的にマメに活用したら、やる気を出してくれるかもしれません。

姑に「自閉症は治る」と言われた話

息子が自閉症だと、私に最初に告げたのは義母だったと思います。義母は四国の山村で、キャンプ場の管理人をしており、学校の児童の宿泊を受け入れることも多かったため、支援級の子供たちの特性をよく知っておられたのでしょう。

 

夫の実家に帰省したある日、「この子は自閉症じゃ。」とハッキリ言ってきました。それと同時に、「自閉症は治る。」とも言ってきました。

 

私は前述のように、重度の自閉症の兄がいる方と知り合いだったため、「自閉症は治らない」という認識でした。このため、姑は何も知らないんだと内心馬鹿にしていました。

 

息子が私が知っている自閉症の方の特徴とも違っていたため、何を言ってるんだこの人は、と頭にきたのも確かです。しかし今思えば、私たちは両方正しかったのです。

 

自閉症スペクトラムがあっても、早期に療育すれば改善する子は改善しますし、表面的に特性が改善されても、本質は自閉症のまま、ということも事実なのです。そして、かなしいことですが、療育で改善しないお子さんももちろんいます。

 

施設に入っている知人のお兄さんのような方は、改善しないタイプの自閉症児だったのだと思います。その割合がどれくらいなのかは、私には分かりませんが、少しでも改善して社会に出ていける可能性があるなら、療育で改善したい、というのはほとんどの親の本心だと思います。

 

なので、まずは「自閉症は治る」というつもりで、早期療育に取り組むべきだと思います。なお療育で知り合ってきた親子を見ていると、やはり1歳ごろから取り組んできた方は、改善の幅が大きいと感じます。

 

特にコミュニケーションの面では、早ければ早いほど、違和感のない交流方法を学べるようです。息子は4歳からの開始なので、本当にギリギリのラインだったのではないでしょうか。

 

今では、家族や知り合いとの交流は問題ないレベルですが、初対面の方には、少し奇異な行動を取ることがあります。宿泊訓練や試験前など、心理的負荷がかかる時期には、特に奇異な行動が起こりやすいです。

 

就労して、周りの環境がほとんど変化しなくなったら、心理的な安定度は高まるのではないかと思っています。

 

ともかく姑の一件は、「人生の先輩のお話には、耳を傾けたほうが良い」という教訓になりました。姑はもう亡くなっていますが、天国から息子を見守ってくれていると思います。

障害者枠と普通の枠、どちらで生きる?

小さい頃から療育に取り組んできた私にとって、「普通の子」は憧れでした。普通科の高校にやるということが、目標を達成できた状態だと考えていました。

 

しかし高校生ともなると、コミュニケーションのぎこちなさや幼さは、学校だけではなかなか改善されないという事実に直面しています。勉強は、学習時間を増やすことである程度改善されますが、人との距離感というのは、息子にとっては、理解するのがむずかしいのでしょう。

 

「これは苦手でパニックになるかもしれないから、手助けしよう」とこちらが思っていても、「俺は自閉症じゃないから」と言って、助けを受け入れてくれないこともあります。成長すると、本人の受容ということも、少しずつ問題になってくるのです。

 

障害者枠で生きていきたくない、というのは本人の意思ですから、親としては金銭面や環境の面などで、最大限の援助はするつもりですが、普通枠ではなかなか芽を出せないのではないか、と心配になることもあります。

 

小学校の頃、都のスクールカウンセラーと話をしていたときに、普通枠でやっていきたい旨をお伝えしたら、「夢みたいなこと言ってないで特別支援学校への道を考えろ!」と怒鳴られたこともあります。

 

特別支援学校とは、職業訓練などを行う高校のことです。これは、知的には問題のない息子の進路とは、考えていませんでした。実際、現在も大学進学を視野に入れて、普通科の高校に通っています。

 

このスクールカウンセラーとは、その後関わっておらず、学校のカウンセラーを変えてしまったので、何でこんなことを彼女が言ったのかは分かりませんが…。

 

とにかく、普通枠で生きていくのか、障害者の枠で生きて行くのかは、親にとっては非常にむずかしい問題だと思っています。私の友人の中には、まったく療育をせずに、行政の保護枠を利用してあげたほうが本人の将来のため、という考えの方もいます。

 

それはそれで、将来を考えると賢いやり方なのでしょう。親の考えによっても、かなり変わるということをこれから療育に携わる親御さんには知っていただきたいと思います。

 

ちなみに息子は、努力が大好きな性格なので、療育を苦にするような素振りはありませんでした。子供さんの性格に合わせるのも、大事だと思います。

自他の境がないということ

自閉症でレインボーチルドレンの息子には、エゴがほとんど存在しません。それはつまり、自他の境がない、ということになります。

 

スピリチュアル的には素晴らしいことなのですが、3次元を生きるにはなかなか厄介な特性です。人間は、エゴに基づいた行動がほとんどですから、他人の気持ちが分からない、ということにつながるからです。

 

しかし、ことアートの分野においては、この特性はものすごい力になります。「うまく描いて褒められたい」「こんなことをしたら変に思われるかもしれない」という雑念が入り込まないため、純粋な感覚追求に専念するからです。 

 

このため私は、息子がギフテッドに近い才能を持っていると思っています。できるだけその能力を発揮させたいので、幼い頃からアートスクールに通わせています。抽象画の能力は素晴らしいです。

 

とはいえ、他者視線がないということは、変なことを言って他人がどう思うか想像する、というストッパーがないということなので、時々その場を凍り付かせる発言をしてしまいます。

 

自分と他人の境界線の感覚に乏しいため、人との距離感が近すぎるときもあります。ベタベタするのは、子どもの頃は許されますが、大人になるとトラブルの種になる可能性があります。

 

また、人間に個性があるという概念が乏しいことは、他人の名前をなかなか覚えられないということでもあります。小学校のときは、入学式の写真で先生からクラス全員の名前を教えて頂き、自宅で本人にインプットするということをしていました。

 

お付き合いいただいた先生方には、本当に感謝しています。小学校の先生とは、いまだに年賀状のやり取りが続いています。

 

これからもたくさんの方のお世話になると思いますが、彼の明るい性格もあってか、息子はほとんど学校生活で苦労したことがありません。周囲の皆さま方には、本当に感謝したいと思っています。

一緒にやろうで上手くいく

子どもに早く学校に行って欲しい、もっと勉強してほしいというとき、つい「早くしなさい!」と叱ってしまうことはありませんか?前述のように、自閉症は記憶を忘れられない障害です。

 

何気ない一言が、一生の傷になってしまう可能性もあります。子どもに動いてほしいときは「早くしなさい」ではなく、「一緒にやろうね」のスタンスでいるようにしましょう。

 

一緒に身支度をすると、子どもは意外にすんなりと行動を起こしてくれるものです。例えば私は、高校生になった今でも、毎朝子どもと一緒に家を出るようにしています。

 

べったり送るわけではなく、マンションの玄関までです。イメージとしては周りの空気ごと動かす感じです。

 

私はフリーライターなので、別に自宅で仕事をしても良いのですが、一緒に家を出るという行動を刷り込ませたので、私が身支度をするだけで子どもは条件反射で朝の支度をするようになりました。

 

幼稚園のとき区の行動観察員がおっしゃっていた「パターンで動く」「周囲を見て真似をする」という彼の特性を利用したものです。私自身は、厳しい母にさんざん叱責されながら育てられました。

 

そのパターンを息子に引き継がないように、気をつけています。ふだんは冷静にふるまえても、疲労が溜まるとつい感情的になってしまいます。子育ては親育て、というのは本当だと思います。

 

なるべく日常生活でストレスを溜めないように、気をつけたいものです。少なくとも不機嫌で相手をコントロールする、というやり方は絶対にNGです。

 

障害を知ることは、子どもの感情を守ることにもつながるのです。

宿泊訓練のくふう

学校で旅行に行く時は、まず下見に行くことをお話ししました。そのほかには、持ち物の工夫があります。

 

その場で使うものは、全部まとめて1パックにしてしまうのです。例えば、お風呂に行くなら「バスタオル+パンツ+肌着+靴下+部屋着」とします。

 

「お風呂に持っていくもの」をひとまとめにして、脱いだものは「脱いだもの入れ」にまとめて入れてしまいます。再度同じものを使わない、一方通行にすることで、身支度の作業をシンプルにする訳です。

 

学校から、バスタオルは干して同じものを使うように、みたいな指示が来る場合もありますが、そこまで先生は見ていないので、気にせずバスタオルは使い捨てにしていました。

 

こうすると作業が理解しやすくなりますが、荷物が嵩張るのが難点です。そのため、バスタオルは薄手のものを使いました。

 

ニッセンのバスタオルが薄いのでお勧めです。ちなみに我が家は家族がバスタオルを共有しないので、普段からこれを使っています。

 

パッキングの際には、透明な袋、あるいはメッシュ記事のものを使います。視覚的に分かりやすくすることで探す手間を省き、パニックを抑制しています。

 

ほかには、スケジュールを覚えさせることも重要です。長くなると覚えるのは難しいので、メモに書いて行程表をすぐに思い出せるようにしていました。

 

宿泊訓練の主眼は、とにかく流れに乗せる、パニックを起こさせないということです。支援する側としては集大成なので、普段以上に緊張しました。

 

宿泊訓練にはすべて参加できたので、良かったと思っています。

身辺自立の工夫

自閉症の子なら、ほとんどがそうだと思いますが、息子はとにかく身支度が出来ない人でした。幼稚園の時は登園後、リュック を置いたまま途方に暮れていたそうです。

 

幼稚園では、先生が介助して、朝の支度をするという生活が続いていました。息子の幼稚園は完全母子分離だったため、実際の様子を見たわけではありません。

 

2年目からは、お弁当をカバンから出すくらいはやっていたようですが、完全に自立出来ていたわけではありませんでした。そこで私は、視覚支援のための手順表をパソコンで作りました。

 

カバンを机に置く、帽子をぬぐ、チャックを開ける、と言う手順を書いた簡単な表です。これで視覚支援になると思ったのですが、そもそもこの「視覚支援表を出す」ということが出来なかったので、自立には至りませんでした。

 

そんな訳で、私が本格的に彼に向き合ったのは、小学校に入ってからです。小学校でも、ランドセルを机に置くまでで、中の教科書は出さずにボーッとしていたそうです。

 

そのため、小学校一年生のとき、担任の先生の勧めで付き添い登校を始めました。息子の小学校では、毎朝児童が玄関ホールに集まり、校長先生と挨拶をしてから教室に入るルールでした。

 

いわば毎朝が全校集会です。このため、朝早く登校してゆっくり支度する、ということは出来ませんでした。

 

ガヤガヤとした騒々しい環境だと、聴覚に多くのワーキングメモリを取られ、ほかのことが手につかなくなります。このため、全校集会がある限りは教室での自立は難しそうでした。

 

状況が変わったのは、小学校三年生の時です。新しく赴任された副校長先生は、特別支援学校の経験が長く、集団に合わせるよりも、玄関ホールでの全校集会をカットして、身支度を自立するほうが、本人のためになると担任に提案してくれたのです。

 

さらに副校長先生は、息子がロッカーまで歩かなくていいように、買い物かごを席の近くに置いて、ロッカーの代用とするよう提案してくれました。朝の身支度のハードルを「自分でできる」ラインまで下げることで、本人に自信をつけさせてくれたのです。

 

次は、ランドセルから教科書を出すという作業をさせるための工夫を考えました。バラバラだと何往復かしなければならないので、一度で済むように、教科書は道具箱に入れて、道具箱ごとランドセルに入れるようにしました。

 

小学校から支給された紙の道具箱は、ランドセルに入らなかったので、プラスチックの市販のものに変えました。すると、ようやく息子が自分で教科書を入れられるようになりました。

 

ただプラスチック製の道具箱では、教科書とサイズがピッタリすぎて、隙間がなく出しにくいため、一部をカッターとハサミで切り取って、指が入るようにしました。

 

また、教科書やノートは、教科別に色分けしました。国語は赤、算数は青、理科は緑、社会はオレンジ、英語は黄色、音楽は紫、という感じです。

 

テープは、いろいろ試しましたが、テプラがおすすめです。薄いので、さばく時に邪魔にならないからです。背表紙に貼っておけば、本棚に入れたときにも一目で分かります。

 

中学校では、縦型のリュック を使用したので、箱ではなく教科別に蓋付きファイル入れで分けました。プラスのファイルがおすすめです。ファイルにもシールを貼っておくと、カバンの蓋を開けたときに一目で分かります。

 

行動を少しでも早く、楽にできるようにサポートしてあげることで、学校生活は楽になるのです。高校生になった現在では、自分で自主的に色分け作業をしています。

幼少期のようす

息子が赤ちゃんの頃は、とても手がかからない子でした。どことなく老成していて、悟りきった賢人のような雰囲気でした。

 

出産後はしばらく実家にいたので、免許を取りにいくために家を長時間空けることもありましたが、離れてむずかることはなかったそうです。とても静かな赤ちゃんで拍子抜けしたのを覚えています。

 

これは逆にいえば、愛着行動がなかったことの証明でもあるのでしょう。東京に戻ってからも、手はかかりませんでした。

 

しかし生後半年を過ぎて、親子で出かける機会が増えるにしたがって、何かおかしいと感じることが多くなりました。ほかの子どもに比べると、理解力に劣っていたために「何をされるのか」という恐怖心が非常に大きかったためだと思います。

 

言葉を覚えるにしたがって、理解力が増し、パニックになることが減りましたが、幼稚園から小学校低学年にかけては、本当にパニックの連続でした。一度も死を考えなかったというと、嘘になります。

 

それでも、恥を忍んで夜を超えるごとに、息子は成長して行きました。いま辛い親御さんも、お子さんの成長を信じて感張って生きて欲しいと思います。

議員さんのチカラ

発達障害の息子を育てる上で、力になってくれたのが地元の区議会議員さんです。

 

普通に生活していたら、議員さんと接触することはあまり無いと思いますが、学校側とトラブルになったとき、学校にプレッシャーをかけられる教育委員会に働きかけてくれるのは、議員さんくらいだからです。

 

そもそも、子どもは、学校に人質に取られているようなものです。保護者からあまり強く言うと、子どもが辛い思いをするかもしれません。だからこそ、議員さんのように、学校側にプレッシャーをかけられる存在が必要なのです。

 

スクールカウンセラーさんもいる、とお思いの方もいるかもしれません。学校と保護者の中立の立場である、スクールカウンセラーさんに相談してカタがつくのなら、それが一番いいと思います。

 

しかしスクールカウンセラーではどうにもならない事態になった場合は、議員さんに頼るしかありません。

 

議員さんに相談すると、区議会で代表質問として取り上げられるので、表沙汰になることを嫌がる先生はいますが、子どものためには背に腹を変えられないと思います。

 

私が議員さんに相談したのは、合わせて2回です。小学校と中学校で、1回ずつ相談しました。2回とも、支援を薄くして欲しいと頼んだときのトラブルでした。

 

支援の先生は、自分が担当する生徒がいなくなることをひどく嫌がるため、支援を段階的に薄くするのが子どものためと説明しても、なかなか理解は得られませんでした。

 

酷い時には、校内通級の担任の先生から、嫌がらせも受けました。息子の机の上に、子どもが使わないような、事務用の黒のダブルクリップが大量にばら撒かれていたのです。プリントを隠されたりもしました。

 

学校の先生がまさか?と思うかもしれませんが、学校のような閉鎖的な空間にいるせいでしょう、学校の先生のほうがむしろ、そういう幼稚なことをしやすいと思います。メンタルを病みやすい環境なのかもしれません。

 

通級の前年の担任の先生が、同じ方からイジメを受けており、この先生が議員さんを紹介してくれました。

 

この先生のお子さんにも障害があり、障害児の親の立場から、親身になった指導をしてくれました。

 

私が議員に相談したことを知ると、今まで好意的だった副校長先生の態度は、一変しました。 

 

例えその、嫌がらせをしてくる先生がおかしくても、我慢すべきだとまで言われました。 

 

通級の担任の先生は、明らかにサイコパスだったので、副校長先生もだまされてしまったんだな、と悲しくなりました。

 

先生との関係は悪くなりましたが、子どもの発達をふさいでしまう懸念はなくなりました。この辺のバランスは、本当に難しいと思います。